西福寺山門 |
本堂 |
境内から眺める西野 |
安田家之墓 |
古い安田家の墓石 |
三原市西野にある曹洞宗・西福寺は元亀年中(1570~)安田新兵衛忠信氏という人物により創建された寺で、当初、安田家だけの氏寺だったそうです。
安田家は代々庄屋を務める名家で、幕末期の当主の次男で因島の桑原家に入り婿した桑原輪三という人物が、碁聖本因坊秀策の父親です。
文政12年(1829)輪三の二男として生まれた虎次郎は幼い頃に母から碁を習い、六歳の頃、尾道の豪商橋本竹下(吉兵衛)に才能を見出され、その紹介で三原城主浅野甲斐守忠敬と対局。
その後もたびたび城へ召し出され忠敬の碁の相手をしていたそうで、棋力を認められた虎次郎は竹原の宝泉寺住職葆真和尚に預けられ碁や漢学の教えを受けています。
この頃より虎次郎は安田栄斎と名を改めていますが、桑原姓から父の実家である安田姓へ変えたのは、代々庄屋を務める安田家のほうが体面がよかったからと考えられています。
城に召し出されるようになった時期は、遠い因島ではなく、安田家で暮らしていたのではないかという説もあります。
西福寺境内の墓所には安田家の墓があります。詳しく調べれば秀策の時代の人物の墓もあるのでしょうが、取材時はそこまで調べておらず分かりませんでした。
また、安田家屋敷跡には碑が建立されているそうですが、取材時には見つけることが出来ませんでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿