かつての松泉閣(カラー処理) |
現在の松泉閣跡地 |
明治以降、囲碁界の一翼を担ってきた方円社ですが、囲碁界では関東大震災を機に統合の機運が高まっていき、大正13年(1924)3月12日に方円社の有力な後援者であった大倉喜七郎が経営する帝国ホテルにおいて「碁界合同問題基礎協議午餐会」を開催。
その後、同ホテルを舞台に数回の話し合いが行われ、同年7月17日「日本棋院」設立により囲碁界は統一されます。
解散にあたり方円社では、五反田の料理旅館「松泉閣」において4月22日に中川亀三郎(二代目)ら二十三名が参加し記念の宴が開かれたと記録されています。
松泉閣は五反田駅の東口の南側、目黒川沿いにあり「郊外の箱根山」と自称する広い庭園と素晴らしい庭石の配置が自慢の料理旅館で、演芸舞台の設備も素晴らしかったと言われています。
空襲で焼失し、その跡地に、昭和40年(1965)に世界一と呼ばれた大規模で豪華なボーリング場「五反田ボウリングセンター」が開業。
内装は外国から取り寄せた大理石をふんだんに使った格式の高いものだったそうですが、松泉閣はその3階で「レストラン ケルン」として営業を再開したそうです。
「レストラン ケルン」は、その後何度か移転し虎ノ門で営業を続けていましたが、2022年に新型コロナの影響で家賃交渉がまとまらず、さいたま市大宮へ移転することになったとホームページに掲載されていました。
方円社の終焉の地ともいえる五反田の松泉閣跡地は、現在タワーマンションになっています。
松泉閣跡地:ブラウドタワー東五反田(品川区東五反田2丁目9)
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