2022年10月24日月曜日

本因坊秀策囲碁記念館

 

しまなみ海道

本因坊秀策囲碁記念館

展示室

復元された生家

内部の様子(2011撮影)

因島石切神社(2020解体)

 碁聖・本因坊秀策の故郷である広島県尾道市の因島は、かつて毛利元就を支えた村上水軍が拠点といた瀬戸内海の島で、現在は西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で本州および四国と結ばれています。
 因島では秀策が文政12年5月5日〈1829年6月6日〉に現在の広島県尾道市因島外浦町で生まれているほか、昭和期に全日本アマチュア本因坊戦、朝日アマ囲碁十傑戦などを連覇したアマチュア強豪の村上文祥の出身地でもある事から、旧因島市が町おこしの一環として平成9年に囲碁を市技として制定。
 その後因島は囲碁ブームを巻き起こす『ヒカルの碁』の舞台となり、平成16年には秀策が囲碁殿堂に顕彰され注目されることとなります。
 平成18年、平成の市町村合併により因島市は尾道市と合併し消滅しますが、尾道市は囲碁を市技として引き継ぎ、合併記念事業として秀策の生家復元と資料展示が決まり、平成20年に本因坊秀策囲碁記念館が開館しています。
 記念館の秀策展示室には秀策愛用の碁盤と碁石、食膳、16歳時に書いた筆跡書幅、本因坊よりの囲碁免状四段、死亡通知書など貴重な資料が展示されています。
 また、記念館敷地内に復元された生家は棋戦会場としても用いられ、井山裕太本因坊初の防衛戦(2016年)や第71期本因坊戦が行われたほか、事前予約すれば因島囲碁協会が派遣したランティアと対戦することもできるそうです。
 秀策の生家はもともと記念館の隣りにありましたが老朽化のため取り壊され、跡地に桑原家が宮司を務める因島石切神社が建立されていましたが、二代目宮司が亡くなり後継宮司がいなくなったことから廃社が決まり2020年に建物も解体されています。
 境内にあった本因坊秀哉の書による顕彰碑はそのまま残され、土地は市に寄贈される予定と報道されているので、今後市が有効活用していくのではないでしょうか。


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