2022年6月15日水曜日

森鴎外・夏目漱石住宅(明治村)

 

森鴎外・夏目漱石住宅

縁側

室内の様子

室内の様子

 明治時代の貴重な建築物を移築した犬山市の明治村には、夏目漱石が「吾輩は猫である」を執筆した東京都文京区千駄木町(現:文京区向丘2丁目)にあった住宅も移築されています。明治20年(1887)頃に医学士中島襄吉の新居として建てられた当時のごくありふれた建物で、空家となったため明治23年に森鴎外が借りて一年余りここで過ごし、更に明治36年(1903)からは同39年までは夏目漱石が借りて住んでいたそうです。
 鴎外は、ここに住む直前に処女作小説「舞姫」を発表し、この家では「文づかひ」等の小説を執筆して文壇の道に進んでいます。
 漱石は「吾輩は猫である」の中で建物内にある猫のためのくぐり戸などどを描写していますが、それはまさにこの家の様子を描いたものだったそうです。以前も紹介しましたが「吾輩は猫である」の最終話は囲碁の対局が中心となっています。漱石自身この家で囲碁を打ったことがあったのでしょうか。漱石はここで「吾輩は猫である」のほか、「坊ちゃん」「草枕」などの名作を執筆しています。
 二人の文豪が相次いで住んでいだ建物は当時の典型的な中流家庭の住宅ですが、短いものの中廊下を設けたことで襖で隔てるより各部屋の独立性が保たれ、南の面の書斎が突き出した構造は、後に洋間の応接室へと変化し一般庶民の住宅が洋風化していく過程が分かる貴重な建築物となっています。


明治村:愛知県犬山市字内山1番地 園内の1丁目9番地



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