坐漁荘 |
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犬山市の明治村には内閣総理大臣などを歴任した政治家、西園寺公望の別邸「坐漁荘」も移築されています。
公家で最上位の五摂家に次ぐ家格である清華家の一つ西園寺家の当主、西園寺公望は戊辰戦争において官軍の山陰道鎮撫総督を務めるなどし、明治3年(1870)から10年間フランスにて法学を学び、帰国後伊藤博文の腹心として各国公使や文部大臣などをを歴任。明治39年(1906)と明治44年の二度にわたり内閣総理大臣にも就任しています。
大正8年(1919)第一次世界大戦終結後のパリ講和会議へ首席全権として出席した西園寺は、翌年に政治の第一線から退き駿河湾、清水港近くの海岸に住友家の資金で別邸「坐漁荘」を建設して一年の4分の3をこちらで過ごすようになります。
「坐漁荘」は旧東海道に沿って建てられた純和風の建物ですが強い海風に耐えられるよう鉄筋の水平筋違いが用いられるなど当時の新しい技術も用いられていました。名前の由来は「なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす」という意味が込められていたそうです。
しかし、西園寺の想いとは異なり実際は山県有朋が亡くなり最後の元老となった西園寺のもとへは事あるごとに大物政治家が訪問していたといいます。
ところで、明治村へ移築された「坐漁荘」では、平成27年(2015)1月19日から20日にかけて第39期棋聖戦七番勝負の第4局が行われています。井山裕太棋聖に山下敬吾九段が挑んだタイトル戦は、それまで井山棋聖の三連勝でしたが、「坐漁荘」での対局で山下九段が初勝利すると3勝3敗と最終局までもつれ込み、最終的に井山棋聖が防衛に成功しています。
明治村:愛知県犬山市字内山1番地 園内の3丁目27番地
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