2022年6月13日月曜日

夏目漱石旧居跡「猫の家」

 

日本医科大学同窓会館

夏目漱石旧居跡の碑

猫のモニュメント

 文京区向丘の日本医科大学同窓会館に「夏目漱石旧居跡」の碑が建立されています。
 文豪夏目漱石はイギリスから帰国後の明治36年から3年間ここで暮らし、東京大学英文科・第一高等学校の講師を勤める一方、ここでの生活を基にしたデビュー作『我輩は猫である』のほか『坊ちゃん』『草枕』などの名作をこの家で執筆しています。
 『吾輩は猫である』は、明治38年(1905)1月に俳句雑誌『ホトトギス』で発表され、当初は読み切り作品でしたが好評を博したため翌明治39年(1906)8月まで連載。飼い猫の目を通して人間社会を風刺的に描いた作品は。名作として現代まで読みつがれています。
 漱石は特に囲碁好きという訳ではありませんでしたが、いくつか囲碁を題材とした俳句を残していて、『我輩は猫である』では最終話(11話)が囲碁の場面であり対局の様子がかなり詳しく描かれています。
 最終話(11話)は猫「吾輩」が暮らす飼い主、英語教師の珍野苦沙弥の家で友人の迷亭が哲学者の独仙と碁を囲む話で、当初勝敗にこだわらないと言っていた独仙が、迷亭の度々の挑発で「僕は負けても構わないが、君には勝たしたくない」と態度を変えていくなど、呑気な迷亭とクールな独仙とのコミカルなやり取りが展開されていきます。
 両者の対局を見ていた吾輩は「広くもない四角な板をさらに狭苦しく仕切り、ごたごたと黒白の石を並べて、勝った、負けたと、あぶら汗を流して騒いでいる。窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を現し、広大な世界を自ら縮め、己れの立つ場所以外には踏み出せないようにするのが好きなんだ。人間とはしいて苦痛を求めるものである。」と皮肉っています。
 『我輩は猫である』が誕生した旧居は借家だったそうで、漱石が暮らす前には森鴎外が暮らしていたこともあるそうです。
 ある日、その家に子猫が迷い込み、猫があまり好きではない漱石の妻がそのたびに追い出していましたが、何度つまみ出しても猫が家の中に入り込んでくるので漱石が妻を説得して飼うことにしたそうで、小説はその猫がモデルとなり執筆されています。
 旧居跡の碑は昭和46年に建立され題字は囲碁愛好家としても知られる川端康成が書いています。
 また、当時の建物は愛知県犬山市にある野外博物館「明治村」へ移築保存され、現在も見学することができます。

【囲碁史人名録】 夏目漱石




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