日証館 |
当時の渋沢事務所(旧渋沢邸) |
日本橋兜町の東京証券取引所の北側、日本橋川沿いに建つ賃貸ビル「日証館」は、昭和3年(1928)に旧渋沢栄一邸跡に東京株式取引所が建設。当初は東株ビルディングと言いましたが、昭和18年(1943)の日本証券取引所設立後に日証館と名を改めています。
この場所は近くに栄一が頭取を勤めた、わが国初の銀行「第一国立銀行」があり、明治以降まさしく日本の金融業界の中心地でした。
昭和21年(1946)に取引所を米軍が接収し取引所市場が閉鎖されますが、同年5月から東京証券取引所が設立される昭和24年(1949)5月までの間、日証館1階の事務室で取引所取引に代わる集団取引が行われていたそうです。
旧渋沢栄一邸は、後に東京駅駅舎の設計を手掛ける辰野金吾の設計によりで明治21年(1888)に建設。明治34年(1901)に栄一が飛鳥山に移り住んだ後は、渋沢事務所として使用されていました。
大正12年(1923)9月1日、栄一が渋沢事務所の書斎で所員と打ち合わせをしていた時に関東大震災が発生。栄一は無事避難しましたが、兜町一帯は火に包まれ、事務所は全焼しています。
栄一は兜町に住んでいた明治17年頃に、方円社の村瀬秀甫や、当時、林千治と言った後の二代目中川亀三郎に月に二・三回来てもらい教わっていたと語っています。
また、事務所となった後も、度々会議が行われた後に余興として碁会が行われたとの記録が残されています。
0 件のコメント:
コメントを投稿