2021年10月21日木曜日

最福寺 本因坊秀和誕生の地碑・夢の実現堂

 

最福寺入口の標識

最福寺

しだれ桜

本因坊秀和誕生の地碑

碁盤を模した台座

夢の実現堂

展示物

 近代碁の創始者として2006年に囲碁殿堂入りした十四世本因坊秀和の故郷である伊豆市小下田にある最福寺は、秀和の生まれた土屋家の菩提寺で、境内には「秀和誕生の地」の碑や資料館「夢の実現堂」があります。
 西伊豆には鉄道網が無く、最福寺へ公共交通機関で行く場合、修善寺駅から東海バスで50分かかるそうで、取材時はレンタカーを利用しました。
 最福寺の境内には樹齢50年ほどのしだれ桜が約30本あり、春には垂れ下った枝の先にピンポン球ほどの大きさの花が20個ほどが密集し咲き乱れるそうで、2002年に新種と認定され「伊豆最福寺しだれ」と命名されています。
 境内には1990年に生誕170周年を記念して建立された「秀和誕生の地」の碑があります。二十三世本因坊坂田栄寿(坂田栄男)の揮毫によるもので、除幕式には坂田氏も出席されています。碑は台座が碁盤の形になっていて碁石も置かれていますが、台座に使われている石材は碁盤の木目に見えるような石を探して採用したそうです。
 本因坊秀和は、文政3年(1820) に最福寺の隣りにある土屋家で生まれ、父や当時の住職に囲碁を教わったと伝えられています。9歳の時に本因坊丈和の門人となりますが、その際も住職が相談に乗っていたと言います。
 最福寺境内にある資料館「夢の実現堂」には、秀和関連の資料のほか、町内遺跡発掘品や幕末の三舟(海舟・泥舟・鉄舟)の書、土肥(小下田の隣り)出身の日本のカラー写真の生みの親である長口宮吉の写真、著書等も展示されています。
 展示物には秀和の門人で明治以降、名古屋で活躍した稲垣兼健太郎の初段免状のコピーや、本因坊門下の強豪、白木助右衛門へ宛てた秀策死亡を知らせる手紙のコピーもありました。
 なお「夢の実現堂」は普段は鍵がかけられていて、お寺の方にお願いすると開けて下さり色々説明していただけます。

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