2021年7月12日月曜日

大岡越前の屋敷跡

 

地下鉄入口後ろの建物が弁護士会館

地下鉄入口に接した垣根に設置されている案内板

 東京メトロ霞ヶ関駅のB1a出口にある弁護士会館に、名町奉行として知られる大岡越前守忠相の屋敷跡の説明版が設置されています。
 元文元年(1736)約20年間務めた町奉行から寺社奉行へ転任した忠相は、将棋より囲碁の方が優位であった家元の席順を改めるよう求めた伊藤宗看の「碁将棋名順訴訟事件」において、家康公が取り決めた事を改める必要は無いと却下。そのため囲碁界の恩人と言われています。
 寺社奉行は四名程度の月ごとの輪番制で、奉行所は置かれず自らの屋敷で執務を行っていたそうです。屋敷は、お城碁の下打ちなどの会場としても使われる事もありました。
 元文4年(1739)本因坊秀伯が七段上手への昇進を求めた際、林因長門入と井上春碩因碩が反対して秀伯と因碩の間で争碁が行われますが、元文5年(1740)1月18日に行われた第四局は大岡邸で行われています。

【囲碁史人名録】 大岡忠相

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