2021年6月28日月曜日

元丈の先祖が中興開基 戒行寺

 

戒行寺入口

本堂

長谷川平蔵の供養碑

長谷川家の墓

戒行寺坂

標柱

 四谷(新宿区須賀町)にある日蓮宗の寺院・戒行寺は、文禄4年(1595)麹町に戒行庵として創草され、寛永11年(1634)に江戸城の拡張にともない現在地へ移転しています。
 そして、移転に尽力し、中興開基となった御家人の宮重作兵衛信秀こそ、十一世本因坊元丈、十三世本因坊丈策の先祖なのです。
 戒行寺境内には、池波正太郎原作で中村吉右衛門がドラマで演じた「鬼平犯科帳」の主人公、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養碑があります。
 鬼平のモデルとなった旗本・長谷川平蔵宣以(のぶため)は戒行寺の檀家で、天明7年(1787)42歳の時に放火、盗賊、賭博など凶悪犯を取り締まる火付盗賊改に任ぜられています。
 平蔵は小説のように江戸中を騒がした凶悪犯を次々逮捕する一方、寛政の改革の一環として罪人の更生施設である石川島人足寄場を設立するなど様々な功績を挙げていますが、人足寄場設立の予算増額を幕府が認めないため、独断で公金を銭相場に投じ資金を調達した事で老中松平定信に嫌われ、出世する事なく寛政7年(1795)8年間勤め上げた火付盗賊改役を退いた3ヵ月後に50歳で亡くなっています。
 長谷川平蔵の墓は、かつては戒行寺境内の墓所にありましたが、墓所が杉並区堀の内の共同墓地へ移転した際に行方不明になってしまったそうです。長谷川家が移転時に立ち会えなかったため誤って無縁墓として処理されたのではないかと考えられています。
 戒行寺境内には現在、長谷川平蔵の供養碑が建立されています。また、明治以降の平蔵の子孫の墓が杉並の墓所から再移転して戒行寺境内にありました。
 なお、本因坊元丈が本因坊家の跡目となったのは平蔵が亡くなってから二年後の事で、平蔵が元丈を知っていたかは分かりませんが、元丈の方は火盗改として大活躍していた長谷川平蔵を知っていた可能性はあると思います。

 戒行寺前から東に下る坂は、「戒行寺坂」と呼ばれています。名前の由来は当然、坂上に戒行寺があったからですが、戒行寺坂は別名「油揚坂」とも呼ばれています。昔この坂の途中に豆腐屋があり、良質の油揚をつくっていたのが由来だそうです。

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