2021年6月19日土曜日

幸手市の本因坊伯元の墓

 

尾崎家墓所

尾崎家墓所

本因坊伯元の墓

御碁所の文字

現地説明板

 八世伯元、九世察元、十世烈元と三代続けて家元本因坊家当主を輩出した埼玉県幸手市では、平成11年から始められた市内石造物調査により各本因坊の墓碑が発見されています。
 八世本因坊伯元は武蔵国幸手郡天神島村の尾崎家出身であり、尾崎家の墓所から墓石が発見されています。
 墓石は、他の墓石に隠れ分かりにくい位置にありますが、写真入りの説明板により詳しく解説されています。
 伯元は天文5年(1740)15歳の時に七世本因坊秀伯の門下に入り、翌年には秀伯が危篤となり本因坊家を継承します。
 短期間で家督を継承したのは、それだけ将来を期待されての事ですが、伯元は宝暦4年(1754)に病に倒れ、同郷の弟子、察元を跡目として僅か29歳でこの世を去ります。
 伯元は名人碁所には就任していませんが墓石には右上に「御碁所」と刻まれています。家元筆頭格であった本因坊家当主として碁所と刻まれたのでしょう。

【囲碁史人名録】 八世本因坊伯元

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