明月院入口 |
方丈 |
庭園 |
北条時頼廟 |
北条時頼公の墓 |
鎌倉にある臨済宗建長寺派の明月院は、永暦元年(1160)に平治の乱で戦死した首藤俊道の供養のため息子の首藤経俊が創建した「明月庵」が始まりであると伝えられています。
その後、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が隠居所として、この場所に「最明寺」を建立して晩年を過ごし、没後は時頼の子・八代執権・北条時宗が禅興寺として再興しています。
室町時代には康暦2年(1380)に山内上杉家当主で関東官領の上杉憲方が禅興寺を中興、その際、塔頭として「明月院」を創建しますが、明治に入り禅興寺は廃寺となり明月院だけが存続しています。
現在、明月院は「あじさい寺」として有名で、境内の数千本のあじさいは明月院ブルーとも言われ、シーズンには多くの人々で賑わっています。
明月院には、晩年をここで暮らした北条時頼の墓がありますが、北条氏による執権政治を強固にし、数々の善政を行った時頼は、囲碁の愛好家でもあったと言われています。
当時、博打を行う武士が多く、時頼は武士による博打の禁止令を出していますが、この時「但し囲碁・将棋者は非制限」とした事により、結果として武士の間で更に囲碁が広まっていったそうです。
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