山門 |
日蓮上人草庵跡の碑(山門手前) |
本堂 |
御法窟 |
日朗上人荼毘所 |
正岡子規句碑 |
鎌倉の「安国論寺」は日蓮宗を興した日蓮上人が布教活動の拠点とした松葉ヶ谷御草庵の跡に建立された寺院です。
本堂の向かいにある御法窟で日蓮上人は日本の安泰と人々の幸せを願い、文応元年(1260)に「立正安国論」を執筆し前執権北条時頼に建白します。
しかし、その内容は当時起こっていた地震や疫病、飢餓などは、法然を始めとする念仏教や禅教など邪教に起因するものとしたため、反発した信者により「松葉ヶ谷の法難」と呼ばれる襲撃事件が発生し、日蓮上人は裏山にある「南面窟」に避難して難を逃れます。一時鎌倉を離れ、再び鎌倉へ戻った日蓮上人は、弘長元年(1261)に伊豆へ流罪となっています。
「松葉ヶ谷草庵跡」は、囲碁の歴史にとっても重要な場所で、現存する日本最古の棋譜は1253年に日蓮上人が弟子の日朗と松葉ヶ谷草庵にて打った対局の棋譜であると言われています。
この棋譜は後世に造られた贋作の可能性が高いと考えられていますが、様々な記録から日蓮上人が囲碁を打っていた事は間違いないようです。
日蓮上人と囲碁を打ったとされる日朗上人は日蓮六老僧の一人で、日蓮上人が佐渡へ流罪となった際に土牢に押込となりますが、赦免後は流罪となっていた日蓮を8回訪ねるなど支援しています。
安国論寺は日蓮上人を開基として日朗上人が創建した寺で、日朗上人は亡くなった際、自らの出家の地でもある安国論寺で荼毘に伏されています。
安国論寺の境内に囲碁の愛好家としても知られた正岡子規の歌碑があります。
「鎌倉の松葉が谷の道の邊に 法を説きたる日蓮大菩薩 子規」
正岡子規は、明治21年7月、明治26年3月と2回鎌倉を訪れ、歌は当寺院に参詣した際に詠んだものだそうです。
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