2021年3月7日日曜日

小野照崎神社 藤沢秀行の碑

 

鳥居
拝殿

下谷坂本富士
藤沢秀行の碑

説明プレート

 東京の下町「入谷」に鎮座する小野照崎神社は、百人一首にも撰されている平安時代の歌人、小野篁(おの たかむら)を御祭神とし、小野が国司として赴任していた際に住んでいた上野照崎の地へ仁寿2年(852)に創建。寛永寺建立にともない現在地へ遷されています。
 そして江戸後期には、 学問の神様である菅原道真も祀られ、境内にある末社を含めると15柱もの神様がお祀りされています。
 小野照崎神社は御祭神の小野篁が、皇太子の教育係を務めるほど学問に通じ参議など国の要職を歴任したことから「学問の神」として、漢詩・和歌・書道・絵画等でも才能を発揮し「芸能の神」として、圧倒的な行動力と多彩な仕事を完遂する手腕から「仕事の神」として人々の信仰を集めてきました。
 俳優の渥美清が、仕事が無い時期にお参りして「大好きな煙草を断つので仕事を下さい」と願掛けをしたところ、間もなく「男はつらいよ」の主役に抜擢されたという有名なエピソードも残されています。
 また、境内には天明2年(1782)に築かれた富士塚「下谷坂本富士」があります。富士塚は江戸時代に関東で広まったもので、信仰の対象である富士山へ気軽に行けなかった時代、富士山の溶岩で高さ約6mのミニチュアの富士山を造り、そこを登る事でご利益が得られると考えられていました。
 社殿の前には、平成21年(2009)に亡くなった昭和を代表する棋士、藤沢秀行名誉棋聖の碑が建立されています。
 棋聖戦6連覇をはじめ、名人2期、王座5期、天元1期など多くのタイトルを獲得し、研究会『秀行塾』などで国内外を問わず多くの弟子を育成してきた秀行ですが、一方、私生活では酒、ギャンブル、女性関係、借金と数々の伝説を作り上げ、その破天荒な生き方は人間的な魅力にあふれ多くのファンに愛されていました。
 秀行は生前、「碁は芸に他ならない。勝負は結果にすぎず、第一義はいい碁を打つこと。そのためには芸を磨く以外ない。そうすれば、自然に勝てるようになる。」と語っていて、「芸能の神」でもある小野照崎神社は碑を建立するのに打ってつけの場所と言えます。
 碑に刻まれている「強烈な努力」は、書の大家でもあった秀行が、亡くなる直前に書いた絶筆であり、弟子達への最後のメッセージだそうです。説明の碑には次の様に記されていました。

碁は芸である
碁には個性、生き方、
その人間のすべてがあらわれる

無限に続く芸の道は厳しいが
ひたむきに歩むものは幸せだ

人間を高め、力をつけよ
自分にしか打てない碁を探求せよ

これだけは伝えたい
強烈な努力が必要だ
ただの努力じゃダメだ
強烈な、強烈な努力だ

藤沢秀行



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