本因坊家墓所 |
配置図(現地設置) |
前回、本因坊家の菩提寺である巣鴨の本妙寺を紹介しましたが、本因坊家の墓所について、もう少し詳しく説明します。
個々の被葬者については姉妹サイトの「囲碁史人名録」で紹介していくこととして、今回は墓所の概要について紹介します。
現地に配置図が設置されているため、歴代当主については墓の場所が特定できますが、基本的に中央に最後の当主、二十一世本因坊秀哉の墓石があり、それを取り囲むような形で他の墓石が配置されています。
ただ、明治43年(1910)に現在地へ寺院が移転した際には秀哉が健在であったことから、最初は後方中央にある道策の墓を基準に配置されたと考えられます。
本因坊秀甫・元丈の墓 |
奥貫智策の墓 |
土屋家の墓 |
また、複数の名が刻まれている墓石がありますが、例えば秀甫の本名・村瀬と刻まれた墓に、それより前に亡くなった元丈の名が刻まれているなど、後の時代に合葬された形跡が見受けられます。これは、恐らく墓所の移転時に、スペースの関係か、風化の度合いにより数が減らされたためと考えられます。
左側の列には当主の家族や、本因坊元丈の跡目候補と言われた奥貫智策などの墓が並んでいますが、風化が激しく誰のものか分からない墓石もあります。
入口右手には、現在墓所を管理している本因坊秀和の子孫である土屋家の墓があり、その中の一つに秀和の三男、本因坊秀元の孫で囲碁棋士として活躍した土屋半七の名を見ることが出来ました。
【判明している被葬者】
四世 本因坊道策
五世 本因坊道知
六世 本因坊知伯
七世 本因坊秀伯
八世 本因坊伯元
九世 本因坊察元
十世 本因坊烈元
十一世 本因坊元丈
十二世 本因坊丈和
十三世 本因坊丈策
十四世 本因坊秀和
十五世 本因坊秀悦
十六・二十世 本因坊秀元
十七・十九世 本因坊秀栄
十八世 本因坊秀甫
二十一世 本因坊秀哉
四世跡目 本因坊道的
十四世跡目 本因坊秀策
十一世跡目候補 奥貫智策
宮重策全(元丈の息)
小岸壮二(秀哉の跡目候補)
葛野松次郎(丈和次男・忠達院常照日真信士)
丈和の妻、勢子(遥成院妙見日等信女)
葛野藤四郎(丈和四男・常得院遊戯信士)
烈元の妻(持圓院妙開日運信女)
土屋萬吉(秀元の長男)
土屋半七(秀元の孫)
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