2021年12月1日水曜日

深草北陵 12人の天皇陵

 

深草北陵

深草北陵

葬られている歴代天皇

菊の御紋の瓦

 日本へ伝来した囲碁は当初宮中で広まったと考えられていて、歴代天皇には囲碁に関する逸話が多く残されています。
 京都市伏見区深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)は、「深草十二帝陵」とも呼ばれ、南北朝時代の北朝(持明院統)も含め12人の天皇が合葬されている陵墓ですが、こちらに埋葬されている天皇の多くに囲碁の逸話が残されています。
 深草北陵のある場所には、元々鎌倉時代に創建された安楽行院という寺院があり、その法華堂に第89代・後深草天皇の遺骨が納骨されたのが始まりで、火葬の普及により寺院内の塔や御堂への合葬が可能となったそうです。
 囲碁とは関係ありませんが、深草北陵に最初に葬られた後深草天皇は、南北朝時代の北朝(持明院統)の祖であり、数え4歳で父の後嵯峨天皇の譲位により即位していますが、在位中は父の後嵯峨上皇が院政を敷き、17歳で父が溺愛する弟の亀山天皇へ攘夷しています。
 そのため上皇の死後、後深草系である持明院統と亀山系の大覚寺統との間で対立が生じ、鎌倉幕府の仲介で両統が交互に皇位に就くことで対立は一旦収まります。
 しかし、鎌倉幕府を倒した大覚寺統の後醍醐天皇による建武の新政に反発した足利尊氏が、持明院統より天皇を擁立する一方、京を追われた後醍醐天皇も退位を否定したため南北朝の時代が始まるのです。
 安楽行院は、応仁の乱によって焼失し、法華堂は無事だったものの荒廃していき、江戸時代中期に、ようやく寺院がを再建されて、明治時代に法華堂周辺が深草北陵として整備されています。

葬られている天皇は次の通りです。
 
【鎌倉時代】
 第89代・後深草天皇、第92代・伏見天皇、第93代・後伏見天皇
 
【南北朝時代】
 北朝第4代・後光厳天皇、北朝第5代・後円融天皇
  ・後に南朝が天皇家の正当な家系とされたため、北朝の天皇は歴代天皇に含まれない。
 第100代(北朝第6代)・後小松天皇
  ・南北朝が統一される。
 
【室町時代~桃山時代】
 第101代・称光天皇
 第103代・後土御門天皇
  ・在位中に応仁の乱勃発。囲碁を行った記録が多数残されている。
 第104代・後柏原天皇
  ・三条西実隆と碁を行ったと言う記録あり。
  ・『御湯殿上日記』に囲碁を行ったとの記録が残されている。将棋で「酔象」の駒を除き現在の形を確立。
  ・織田信長が足利義昭を奉じて上洛した当時の天皇。『御湯殿上日記』に囲碁を行ったとの記録が残されている。
  ・徳川家康を征夷大将軍に任じ、その御礼として家康が段取りして、本因坊算砂らの上覧対局が行われる。


0 件のコメント:

コメントを投稿