囲碁のモニュメント |
みなと公園 |
吉備真備公が漂着したといわれる島 |
説明版 |
鳥取県鳥取市にある鳥取港は鳥取市内を流れる一級河川・千代川の河口にあり、古くは「賀露港」(かろ)と呼ばれる因幡国における水上交通・流通の要衝でした。
その鳥取港の「みなと公園」には囲碁のモニュメントが設置されています。
港を一望できる丘陵にある賀露神社の社伝によれば、唐から日本へ囲碁を伝えたといわれる吉備真備は日本への帰国途中、船が難破して賀露港の小島に漂着し、住人の手によって島から陸地へ助け出されます。そして真備公は帰朝の際、お礼として村人に囲碁を伝えたと言われています。
真備公が賀露港へ漂着したというのは、あくまで伝承であり史実では無いのでしょうが、賀露神社では真備公の故事にちなみ二年に一度「ホーエンヤ祭」と呼ばれる海の神事が行われています。
祭りは真備公の漂着したと言われる小島から、みこし・行列を乗せた箱舟を伝馬船で曳き神社へ移動する御幸行列で、.「ホーエンヤ」とは「奉曳(ほうえい)」の意味だそうです。
昭和4年には神社にて「吉備公千百五十年記念祭」が行われ盛大な囲碁大会も開催されています。また平成20年以降、真備公の功績をたたえて「吉備真備杯奉納囲碁大会」が毎年開催されています。
賀露港(鳥取港)にはもう一つ囲碁に関わる伝承があります。京都市下京区にある因幡堂(平等寺)の薬師如来像は碁盤の上に安置されている事で知られています。
『因幡堂縁起』などによると平安時代中期の貴族・橘行平が天皇の命で因幡国の一宮に赴き、そこで病となります。その行平の夢に現れた僧のお告げにより賀露の浜を探ると、海底から薬師如来像が引き揚げられ、行平は現地にお堂を建て祀ったところ病は回復したそうです。その後、行平は都に戻りますが、ある夜に薬師如来は台座や光背を因幡に残したまま行平の屋敷へ飛んで来ます。慌てた行平は地面に置かれた薬師如来像を安置する台座の替りになるものは無いかと考え、屋敷にあった碁盤を活用。その後、屋敷跡に因幡堂を建立し現在に至ります。
このように鳥取港は囲碁と関わりの深い場所なのです。
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