関帝廟通り |
関帝廟入口 |
関帝廟 |
彫刻が施された柱 |
囲碁をする関羽の彫刻 |
横浜中華街に、三国志で有名な関羽が祀られている「横浜中華街関帝廟」があります。
関羽は中国後漢末期に実在した人物で、蜀を建国した劉備に仕え、猛将として知られる一方、義理を重んじ、曹操など敵方からも称賛された武将でした。
後に関羽は神として祀られ関帝廟が建設されますが、特に全世界に散らばった華僑は、関羽を商売の神様として祀り、各地に廟が建設されていきます。
横浜中華街にある「横浜中華街関帝廟」は、幕末期に横浜が開港した際、外国人居留地で多くの中国人が暮らすようになり、その中の一人が小さな祠を建て関羽の木像を祀ったのが始まりだと言われています。
明治初期、1871年には、華僑たちの募金により本格的な初代関帝廟が建立され、その後、大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の米軍による横浜大空襲で、二度にわたり中華街一帯は壊滅的被害を受けていますが、その都度、倒壊した関帝廟が、中華街復興のシンボルとして再建されています。
昭和61年(1986)元旦に、関帝廟は火災により再び焼失しますが、この時も再建委員会が組織され、平成2年(1990)に現在の四代目関帝廟を再建。中華街では毎年、関羽の生誕日である旧暦の6月24日に「関帝誕」が開催されています。
関帝廟は中華街に暮らす人たちの信仰の場としてだけでなく、観光スポットとして観光客も訪れています。
ところで、関帝廟に祀られている関羽には囲碁に関するエピソードが残されています。
「樊城の戦い」において関羽は龐徳の放った毒矢が腕に刺さり荊州に引き返します。そこで伝説の名医・華佗による手術が行われる事になりますが、その方法は腕を切り開き、骨を削って毒を取り除くというものでした。
もちろん麻酔は無いため、華佗は治療中は腕を柱に固定する事を提案しますが、関羽はこれを断り手術の間、片手で酒を飲みながら平然と馬良と碁を打っていたそうです。
この話は三国志でも有名なシーンでもあり、横浜の関帝廟にも関羽の手術を題材にした彫刻を見つけることが出来ました。場所は神殿の向かって一番左側の柱です。皆さまもお参りした際には一度見学してみて下さい。
横浜の関帝廟では、この他に神殿内部の壁に囲碁のシーンのレリーフがありますが、こちらは有料で作法に則りお祈りする場所なので撮影は控えました。
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