浄心寺 |
墓所入口 |
安井歴代之墓 |
側面に刻まれた歴代当主の名 |
家元安井家の菩提寺である江東区平野2丁目の日蓮宗の寺院、浄心寺は、通遠院日義上人が深川に草庵を営んでいた場所で、日義上人に帰依していた四代将軍德川家綱の乳母三沢局が亡くなり、遺命により万治元年(1658)に創建されます。
浄心寺は德川家綱から寺領100石の御朱印状を拝領し、宝暦三年(1753)には身延山の祖師像・七両天女像の出開帳が行われ、身延山の弘通所と呼ばれています。
家元安井家の菩提寺は当初、京都の寂光寺でしたが、その後浄心寺へと移されています。
しかし明治期に入ると安井家は、十世安井算英の実子、昌三に家元としての力量がなく、後継を決められないまま算英が亡くなったため、家元としては断絶しています。
囲碁界とは離れた昌三ですが、明治42年(1909)に「安井家歴代之墓」を建立し、墓石に十一世安井昌三立石と刻んでいます。
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